「ささやかな人生の往還」 shoyanより
ライブを終えたばかりの「風の楽団」バンドの仲間たちとの笑顔。
この日、千葉県「市川市文化会館」での、楽屋へ続く白い壁の通路にて恒例の1ショットは、
天井の向こうに「⬅︎大ホール舞台下手」と見える案内板の先の、その舞台から降りてきたばかり。

仲間に囲まれた自分の笑顔は、いつもの「やり遂げた!」という確かな手応えを湛えながら、
この日だけは胸の奥に抱く“特別な感慨”があった。。
思えばまだ18歳のあの日・・・『かぐや姫』への参加が決まりかけていた僕は、
親を説得する前に、「まず上京すること」だけが、夢への扉を開く一歩だと信じていた。
・・・ブルートレインの「三段式B寝台」での一夜がソワソワと明けて、
憧れと共に、どうしようもない戸惑いを抱えたまま、夜行列車は終点東京駅に着いた。
当時まだ総武線が東京駅を通らなかった時代に、そこからどうやって乗り継いだのかはもう忘れたが、「本八幡」という駅に降りて、「"東京"に足を踏み入れた!」と思い込んでいた若き日の自分は、やがてその"勘違い"に気づくことになる。
住所を書いたメモを頼りに、田園風景の中を歩き続けてようやく見つけた初めての下宿。
そこは東京都ではなく、千葉県市川市だった。
けれど当時の九州・大分から見れば、「千葉に着こうが、東京に着こうが」同じ“上京”であり、
その決心は、若い自分を少しだけ誇らしくさせたのは確かだった。
・・・それから56年。今はその市川市で、まさか自分の名前を冠したコンサートが開かれるなど想像すらできなかった未来だ。
大ホールの歓声に包まれながらアンコールに応えた瞬間、思い出がそっと胸の奥で重なり合った。
若さとは、苦労を苦労と知らずに進める力だった。
徹夜で曲を書き上げ、そのまま何泊分かの下着をバッグに詰め、地方公演へ向かうこともしばしば。
その頃は高円寺の…それこそ"四畳半"に引っ越してはいたものの、当時の中央線の朝のホームは乗車率200%が珍しくない混雑で、
それはまさに「昭和の風物詩」。白手袋の駅員が乗客を無理やり押し込み、やっとドアが閉まる。
人混みに埋もれたギターケースを何とかつかんで、ようやく神田で乗り換え、その日は上野駅から北へ向かうのだ。
思えば、そんな日々の一つ一つが大きな財産となり、長い時を経て、今日の自分を形づくって来た。
時は流れ、いまこうして出発の地でもある市川市の文化会館の通路で何気に撮られた一枚の写真。
そこに写る笑顔は、ほろ苦さではなく、長い旅路の果てにそっと灯る温かな光を湛えている。
温かい拍手に送られて客席へ一礼をし、ステージを降りる時の、”今日の自分”と、“あの日の自分”とがそっと去来した。

それは過去と現在が今も手を取り合って行き交う「ささやかな人生の往還」なのだ。
Shoyan
